いつか手の爪を爪切りで切ってみたい人の独り言

オタクで根暗で引きこもりな人が徒然なるままに呟いています。

結婚をしたくてもできない場合と、したいと思えない場合

 なんでこんなに今日も牧春を考えているんだろう。

 我ながらびっくりだわ。

 でも。牧春ちゃん達は、この世界のどこかで幸せに…ってまだ今現在は復縁していないじゃないか。

 武牧にワンチャンあると見た方が美味しいのか??

  

 ちずちゃんに「完璧だね」と言われた牧くんが、「欠陥だらけです」と答えたシーンがあった。

 顔もいい、優秀で仕事もできる、家事もできる、とにかくもうハイスペックな牧くんなのに。ゲイである、という事がこんなにも彼に負い目を感じさせているのか。

 それほどまでに、セクシャルマイノリティの部分が、彼を苦しめているのか。異性同士でないと、法律上で結婚できないから? 双方の遺伝子を持った子どもが生まれないから? 医学がもっと進んだら、人工的に特定の人の遺伝子を組み込んだ卵子精子を作る事が出来たりするんだろうか。そしたら、きっと、牧くんと春田の子どもが見られるよ。…でも倫理の問題があるのかな。

 牧くんの場合、仮に99パーセントが完璧だったとしても、残りの1パーセントが最大の弱点だと思っているのがいじらしい。たった1パーセントの部分を狙われてしまうと、99パーセントの部分もひっくり返ってしまうと恐れているのか。恐怖のサヨナラ逆転ホームランなのか。1パーセントの部分を他でカバーしようと、一生懸命努力をしてきたんだろうな、と思うと泣ける。もはやその存在だけで、切なくて泣けてくるよ。…いったい私は何ポジションなのだろう。

 きっと、牧くんの悩みを「たいしたことないよ!」と言う人もいるだろう。また、「たかがそんな事で?」と思う人もいるのかもしれない。同じ問題でも、人によって感じ方の程度が大きく異なるという事を、絶対に忘れてはいけないと思う。だって、コナンの犯人の動機だって、「え、それ?」みたいなのがたくさんある。けれど、その犯人してみれば、一大事だったのだ。

 

 さて、私も三十路である。

 微妙なお年頃である。結婚というライフイベント的に。

 同世代には、結婚して子どもがいる人もいれば、結婚したけど離婚した人もいる。全く結婚していない人だっている。

 私は結婚していない。その事について自己分析をした結果、「結婚に対して良いイメージがないのではないか」という結論に至った。

 幼い頃から、「お姫様になりたい」願望はあったが、「お嫁さんになりたい」「お母さんになりたい」はなかった。そして今現在も、別に「お嫁さん」にも「お母さん」にもそこまで魅力を感じない。やっぱりちょっと思考回路が変なのかな。

 もともと、子どもと接する事は苦手である。児童福祉の分野で働いていたけれど、それでも子どもは苦手である。

 おそらく、私自身が上手く親子関係を築けていなかったからに他ならない。親子仲の良さそうな光景をたくさん見てきた。それらを微笑ましいな、羨ましいな、と思っていた。そして、子どもとの関係に悩む親御さんの様子を見たり、子どもの問題行動なんかを自分に置き換えてしまう瞬間があった。これがいわゆる、逆転移と呼ばれるやつなのか、と自分にその都度がっかりしていた。

 正常な親子関係とはどのようなものなのだろう。正常、という言い方が正しいのかは分からないが。

 周りの友人たちを見ていると、”お母さんと仲良し”みたいな人が結構いる。一緒に暮らしている場合には、買い物や食事、旅行にも行っている。離れて暮らしていても、頻繁に連絡を取り合っている。なんでも話し合える仲、な母子関係を築いているらしい。くっつき過ぎず、適度な距離感を持っている友人は、結婚している人も多い。

 ところが私はどうだ。

 母が健在の頃も、変な遠慮をしてばかりいた。自分の考えている事や思った事を伝えられなかった。今何が好きだという事も、何が欲しいという事も、これは嫌だという事も何もかも。いつも当たり障りのない会話ばかりをしていた。

 ちなみに、親から連絡が来る事に対して、少々ビビっているのが私だ。電話などの通知音が鳴るのが怖くて、スマホは常にサイレントモードである。電話が来たからといって、叱られたり注意をされるわけではない。でも、電話に出ないと、「なんで出ないの?」と聞かれてしまう。この”聞かれる”という行動すら、私は”否定されている”と感じてしまうらしい。「遊びに行く」といえば、「どこに行くの?」「誰と行くの?」「何時に帰るの?」などの質問が返ってくるのは当然だ。ホウレンソウは社会人として欠かせない。仕事をしている、外に出ている時は、外面モードなので、特に苦痛に思わない。だが、仕事ではない場合に、苦痛に感じてしまう事が多いのだ。

 親から発せられる何気ない言葉の一つ一つを、上手く流せずに、真摯に受け止めてしまう自分がいるのだ。

 まじセンシティブ。

 というか、まじアブノーマル。

 昔からそう。向こうは冗談でも、こちらは本気にとらえてしまう。自分に関する事に対しては。親の私に対する言葉のどれもが、私を否定しているんじゃないかとガチで思っているのだ。

 飲み会で泥酔して帰ってきた父が、「お前には価値ナーシ! 意味ナーシ!」とへらへら笑いながら私に言った事。両親がけんかをするたび、母が「あんたはこの家にいなさい。お母さんは〇〇(弟)を連れてこの家を出ていくから」と言われたのは一度や二度ではない。事あるごと、「お父さんとは性格が合わない」「結婚する相手を間違えた」「なんであんたはそういうところお父さんに似てるの。嫌だ」とイライラしていた母。いったい、どれが冗談で、どれが本気だったんだろう。

 なんで。

 そんなに嫌だったか。気に入らなかったか。

 いやいや、確かに楽しかった思い出もちゃんとあるんだ。それでも、二人がケンカをしている姿ばかりを覚えている。休日に両親が二人で買い物に行くと、必ずケンカをして帰ってくるのは毎度の事だった。母が一方的に怒っている事も多かったけど。

 本当に、そんなに嫌なら、別れた方がお互いのためだったんじゃないの?

 ケンカをする二人を見るたび、自分の存在が間違っているのではないかと感じるようになった。もうこれは欠陥どころの話ではない。そもそもの、存在意義の問題だ。

 彼らにとって、よその人に自慢できるような娘では全然ないのだ。金も手間もかけた割に、割と残念な失敗作なのが私である。そして親とは相当違う路線で生きている。理想通りじゃなくてイライラしちゃうよね。申し訳ない。

 つまり。

 私が結婚にも子どもにも乗り気ではないのは、お父さんとお母さん、あなた方に原因があるのです。

 そして、実はずっと自覚してたけど。

 これ多分、アダルトチルドレンってやつだぜ。